ネパールde浦島太郎
10年半の日本生活を終え、帰国した(元)留学生の記録。
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dipsky

Author:dipsky
10年半の日本生活を終え、
ネパールに戻って参りました
シャキャ・ディプです。
専門は教育社会学ですが、ここでは
日々のネパールでの奮闘を記録しています。

Email: dipskyjp@gmail.com

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ネパールの公立学校の質
仕事をはじめて(今年2月)からずっと取り込んでいた学力調査の結果がようやく出た。先行研究や20人ぐらいの予備調査で予想をしていたのだが、ネパールの公立学校の質の低さが明らかになった。ネパールと言ってもプロジェクト地域、西ネパールの二郡三村落開発委員会(VDC)だけなので一般化はできない。ただ、全国的な先行研究の結果から見れば一般化しても差し支えないとも思う。

調査人数:2888人
調査方法:第一学年のカリキュラム(ネパール語・算数)に基づき、第2学年と3学年の児童を相手に「自宅訪問」調査(ちなみに、予備調査を私自身が行ったのだが、外部の者に対して子どもたちが警戒したり、恥ずかしがってベストの状態で調査実施できないことが判明したので、本調査では23名の現地若者を雇用して実施。また第一学年を基礎としたのは第一学年は土台であり、児童が第一学年で取得すべき読み書き計算の基礎をなしに、上の学年にはついていけない。)

結果;
・第二学年の児童が第一学年のカリキュラムの平均18.24%(ネパール語)と28.95%(算数)しか理解していない。もう少し具体的に書くと、ネパール語子音を全部読めたのは7.79%、母音となればさらに減って2.92%、マトラ(子音を母音にする記号)はわずか0.89%、合成文字1.22%、二・三行のパラグラフを全部読めたのは1.54%。
算数に関しては、数字を認識してネパール語にかけるのは1.62%、ネパール語から数字に書けるのは2.84%。興味深いのはネパール数字を英数字にできるのが24.41%もいた。単純な足し算をできたのは7.14%、引き算は6%。掛け算をできたのはわずか2.27%。

・第三学年の児童が第一学年のカリキュラムの平均35.4%(ネパール語)と43.32%(算数)しか理解していない。もう少し具体的に、ネパール語の子音を全部読めたのは19.94%、母音は7.09%、マトラ6.36%、合成文字6.43%、パラグラフは7.52%。
算数では、数字をネパール語に書けるのは7.23%、ネパール語を数字に書けるのは5.33%、ネパール数字を英数字に変えられるのは44.12%、足し算できるのは18.19%、引き算は14.61%、掛け算は10.66%。

この結果からわかるように調査された公立学校の児童の大多数は何も学習せず学年を上昇している。というのも、ネパールは日本のように自動進級制度を導入しており、留年する学生を少なくしている(自動進級制度なのにどうしてもダメな児童を留年しているという矛盾)。第一学年で習得しておくべき、読み書き計算をできずに第二・第三学年またその後になってもそのフォローがない。結果、そのような児童はずっと読み書き計算の能力が低いままということである。実際、雇用した現地若者にもそのような低学力問題がみられた。もう一つは、基礎的な読み書き計算ができなければ児童にとって学校は苦痛の場であり、子どもは学校を去っていく(中退)。

算数でもネパール語が関わってきており、ネパール語と数字の変換できなくても足し算・引き算をできるのは少し多いよう。というのもプロジェクト地域では人口の大部分がタル民族でネパール語を母語としない。ネパール語での学習には困難がありそう(このことに関する統計分析はこれから)。言語関連で言えば、面白いのは英数字の認識度が高いことが興味深い。つまり、母語に重点をおかず、公立学校・コミュニティが英数字・英語に重点を置いているというのがわかる。

この結果を導いているのは家族、教員、学校などの統合的な要因であるが、統計的に何か言えるようにするのが今後の予定。これにもう少し時間かかりそうだが、今後はこの調査を全国的に公開してネパールの公教育の質について警鐘をならしていく。

いかんせん、こんな現状であるのに現場の教員、学校、I/NGOスタッフ、役員などの暢気さには呆れている。


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帰国留学生の役割
先日フェースブック上の帰国留学生の会主催の”Teaching for Nepal"(ネパールのための教育)というプログラムに参加してきた。タイトルや企画説明から完全に「学校教育の現状やそれに対する教員の役割」という内容だったが、実際に行ってみるとタイトルにも書いたように「帰国留学生の役割」、特に「いかに自分の経験を教育を通して活かすか」というような内容だった。まぁ、僕の勘違いだったのか、それとも企画の説明が間違いだったのか置いといて、このような場が持てることは良いことだと思う。

基本的に帰国留学生は、数年海外にいた分孤立しがちであり、マージナルマンとしての存在が自己や社会の中で葛藤を生じさせる。このような機会がそれぞれの帰国留学生が自分が抱えている同じような悩みを分かち合い、それを解決するヒントを得るのではないかと思う。もちろん、ネットワークが広がるという利点もある。
会で話し合われた内容は、英語だがコチラのページから見れる。

ただ、若干居心地が悪かった。それは、私以外ほぼ全員がアメリカからの帰国留学生であり、会の大半が英語で進められたこと。まぁ、世の中の構造をみれたような気がしないこともない。


ネパールで自主研修の試み
昨日は面白い会合にたまたま参加。友人が関わっている某NGOの見学に言ったのだが、たまたま教師の「モバイル・ミーティング」があるということで潜入。

なんと教員同士が自らの問題を解決するための自主研修ではないか!4年間これについて日本で研究をしていたので、ネパールでこのような場を発見出来たのがうれしかった。

まぁ、友人のNGOが関わっていたので完全なる「自主」研修まではいかないものの、目指していたものは教員同志自身による問題解決型研修に違いない。昨日はちょうど4回目で徐々にこの方法が確立してきている感じ。

そもそもカトマンズ市内にはこのような研修はなかったらしいが、他の数郡ではセーブ・ザ・チルドレンが数十年前に導入した模様(継続がどうかは不明)。その名残なのか、シンドゥパルチョーク郡でこのような方法がまた別のNGOが用いていたのをたまたま友人のNGOが発見し、カトマンズ市内でも今回「初めて」このような会合ができたとしている。

友人のNGOの支援を下に各教科ごとの教員が隔週の金曜日に支援校のどれかに集まっている。NGOの支援というのは、主に、遠方から来ている教員への交通費の支給・昼食・ノート・ボールペンとファシリテーター。
教員自身が運営できるようにファシリテーターが促していたが、ネパールにはそのような文化がないので教員自身では4回目の今ではできていない。

自主研修の方法としては、
1.自分の教室で使っている教材を「土産」として持参し、その使い方を説明。
2.自分で教えて楽しいこと、問題である箇所を発表。
3.②の問題の箇所を議論。解決を試みる。
従来はこの三つがメインだが、最初なのでNGOがいろいろ気を使って指導主事を招聘。ネパールの指導主事も実力がいろいろなのだが、今回の指導主事がかなりの実力ある方で教員の問題をほとんど全て解決して下さった。それにかかった時間はおよそ1時間半。最後には私も理論的にこの自主研修の手法が有効であることを軽く説明しておいた。1時に始まった会合が終わったのは5時頃。それも教員たちがなかなか帰ろうとしない盛況ぶり。

かなり成果のあるものだったが、問題もいくつかあったのでNGOの方々とシェアーしておいた。
1.自主研修でそれぞれの問題を解決するために少人数でなければならないが、今回の参加人数が30名。全員今回の科目であった「算数」の教員ではなくてもおよそ20名が発表をしていたのでかなりの時間・問題である。
2.文化・ラポール形成の問題かもしれないが、基本的に質問が出ない・かったことも問題。さらに、今回は指導主事がいたので、教員同志で解決する方法としては不十分であった。
3.自主研修という形式だが、NGOの呼びかけに(支援校から各2名)よって集まっていたので、今後の持続に相当力を入れなければならない。主催は一応「学校」になっていたが、校長先生の閉会スピーチでは「NGO主催に感謝」と言っていたので、ファシリテーターがわざわざそれを修正させていた。
また、従来の訓練が失敗したのは、交通費など様々な名目でのインセンティブを与えすぎた点をNGOの理解としてあるので、主催校には交通費を与えない方針はあったが、それでも自主研修は教員自身がお金を払ってまで受けようと思わない限り成功・持続しない。

NGOが教科ごとに隔週やっているのでまだ一周していないので今後どうなるのかは不明だが、もしこの方法がネパールの教員に受け入れられるのであれば教員たち自身で近くの学校ごとでサブグループ作っているはず。さて、どうなるか楽しみ。出来る限りこの活動をフォローするようにしようっと。


教師の自律
先日四苦八苦して書いた記事がなかなかの反響を呼んでいる。決して上出来ではないが、アイディアが教育雑誌とネパール教育の大御所にかなり気に入られたようだ。今後この概念を広げるために「もっと書け!」という指令が教育雑誌の方から頂いた。

記事で何を書いたかというと単純に自律的な学生・国民のために教師の自律が不可欠という日本ではごく当たり前の内容。公教育の目的は、自律的な社会人を形成することなので、この自律的な社会人を育成する立場にいる教師が自律的姿勢を見せなければならない。また教師は教育の専門家として(教師が専門家という議論はさておき)自律的でなければならない。様々な制限があるなかでも、教室の中での教え方は教員に委ねられている。この自律的な教育行為の向上のために教師が常に勉強しなければならない。

しかし、ネパールではまだまだ教師が自律的であるべきという概念がもちろんのこと、教師が勉強すべきということが浸透していない。教師になれば、永遠と教科書通りしか教えない、教科書以外の本を読まない教師がほとんどである。このような状態で教育の質向上の議論だけでは不十分であり、教員をいかに力づけするかが重要である。この力づけに教育雑誌の影響が大きいのではないかと私はみている。今回の私の投稿もそのような狙いがあってのものだったのだが、どうやらそれがヒットしたみたい。まだまだ力不足だが、今後の展開が楽しみである。
途上国は無知!?
帰国して三か月、勉強不足を感じる日々。特に、教育開発学として勉強した途上国またネパールについて学んだ知識がかなり偏りがあったのではないかと思えてきている。先進国の日本にいながら収集して思い描いた途上国の絵は現実とかなり違う。ちょっと言い過ぎかもしれないが、教育開発学として途上国を「無知」とする傾向があるのではないかと。例えば、途上国で教師の専門意識は低いことが問題視されがちだが、別に政策文書に教師の専門意識の重要視してないわけではない。ネパールでは50年代からこのような教師の専門意識を問う声がある。でも、現実ではできていない。
恐らく、先進国にいれば有名ジャーナルで掲載されている記事だけを重要視する偏りが存在する。途上国で実施された途上国の研究などなかなか有名ジャーナルには載らない。まぁ、何を知りたいかそれにもよるのは確かだが。。。

本日は、ネパール最大の大学でゲスト・レクチャラーとして参加。実務者向けに日本の教員による自主研修という論文内容を紹介した。なかなか興味深く聞いてもらえたし、ネパールでもある程度このような自主研修があることを知ることができた。従来、ネパールでは自主研修がほとんど存在しないと考えていた私の勉強不足だった。形式は違うが、ネパールでも70年代から教員の自主研修を政策的に普及させることに政府・国際機関が務めているみたい。予算が終わると継続しないのでなかなか教員自らの研修が進まないのが現状らしい。

教育開発の発表を日本でよく聞く機会があったし、ネパールでも最近聞いているが、制度がないとか・動機がないとかということのような単純なことだけではなく、現地の知識を十分把握した具体的な研究こそが有意義な研究ではないかと思う。

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